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#視線の先

リクエストをいただいて書いた猿礼。
浮き世離れした人の出来心と真面目な人の衝動と子供の執着を混ぜて瓶詰めにするとこんな感じになるのかなという備忘録。

正真正銘キャラ初書きなので不安でしたが、猿礼本命の方に「間違いなく猿礼」とお墨付きをいただけてかなりホッとしましたw

「ヒィッ!?」
 まるで首でも絞められたような、喉が引き攣れるような悲鳴が口から飛び出してしまったのは、もちろん意図してのことではない。
 この上司はいくら部下の態度が悪くても文句を言うことはないし、むしろそれを心の底から楽しんでいるような変人だ。目の前で舌打ちは年中披露しているし、そんな態度を改めるつもりもまったくなかったが、だからといってこんなどうしようもない悲鳴を聞かせるつもりはまったくなかった。
 だが、悲鳴なんて自分の意志とまったく関係ないところで反射のように起こるものだ。そのほとんどを意識的に抑えておける自信があったはずなのだが、どうも例外というのはそこかしこに転がっているものらしい。
「な、な、な……ッ!?」
「すみません、つい」
 くすくすと、楽しくてしょうがないとでも言いたげな笑い声が聞こえる。一応は堪えようとしているらしいが、まったくその努力は実っていない。
 心の底から舌打ちしたい気分なのに、あまりの衝撃にそれすら出来なかった。まだ、まともに文句を言えないほど痺れている。
 それはもう、ビリビリと。いっそ、全力の異能の力でぶっ飛ばされたほうがマシだ。少なくとも、ここまで情けなさは感じない。
「なにすんですかっ、室長!」
「出来心です」
 伏見猿比古の精一杯の威嚇と文句に、正座をしていたせいで痺れた部下の足をつついて悲鳴を挙げさせた東京法務局戸籍課第四分室室長・宗像礼司は、非の打ち所のない完璧な笑みで応えた。
 出来心、おそらくそれは本音だ。嘘でもなんでもない。
 いっそ言い訳でもしてもらえたほうがよっぽどマシだが、そこでいちいちそんなことはしてくれないのが《青の王》宗像礼司という人物だ。好奇心旺盛で、しかも人の嫌がる顔を見るのが好きだというこのやっかいな上司にかかれば、部下なんてあっという間に面白い反応を返してくれる絶好のオモチャ扱いになる。
 そもそも未だ勤務時間中だというのになぜ、伏見まで室長室にしつらえられている茶室で正座をするハメになっていたのか。たまたま宗像が茶を点てているところに室長の確認と署名捺印が必要な書類を持ってきてしまい、運悪く付き合わされただけである。
 宗像が満足したところでなんとか書類にサインを貰いさっさと退散しようとしたはずなのだが、足が痺れてしまって身動き出来なくなっていたところを襲撃されたというわけだ。まあ、伏見に気づかれないようにそろりと伸びてきた指先で、痺れきった足の裏をつつかれただけなのだが。
「足がしびれている人が目の前にいたら、つつきたくなってしまうのが人情というものでしょう?」
「人情って単語の意味、辞書で調べ直してきてください」
 まだロクに動けそうもないが、少なくとも口はまともに動くようになってきた。宗像のツッコミどころ満載の主張に、伏見は比較的まっとうな常識をぶつけておく。はっきり言って、意味がわからない。
 宗像もその主張が当の被害者に受け入れられるとは端っから思っていなかったようで、真意を読み取らせない笑みを浮かべたままだ。今度はなにをしでかすのかと少し身構えていれば、綺麗な正座の姿勢を崩さないまま腕を伸ばし、伏見がバラまいた書類を拾い集めていた。
「…………」
 その光景を眺めながら、ずるずると這うようにして伏見は身を起こす。
 だらしなく、というよりは情けなく畳に懐くハメになったのは、ひとえに宗像のせいだ。痺れきった足をつつかれたせいで、見事に畳の上へとひっくり返った。
 そのときに手にしていた書類をバラまくことになったのだから、それを宗像が拾い集めるのは当然だろう。自業自得というやつだ。
 それでも、いざ目の前で上司が自分の後始末をしているところを見てしまうと、若干いたたまれないものが心をよぎるのはなぜだろう。
「……ちっ」
 やっと上半身を起こせた伏見の口から自然と出てきたのは、舌打ちだった。しかも誰に向けたものなのか、伏見自身にもわからない。
 こんな状況を作り出した宗像に向けたものかもしれないし、もしかしたらこんなところで予想外な展開に陥っている自分に向けたものかもしれなかった。
「ですから、足を崩していいと最初に言ったでしょうに」
「そーですけど」
「ふふ」
 ふてくされた顔で畳の上にあぐらをかいた伏見へと声をかけた宗像の視線は、重ねて揃えようとしている手元の書類へと向いていた。視線はどこか楽しげで、口元に笑みが浮かんでいる。悪戯が見事に成功して、機嫌がいいのだろう。
 ──宗像の機嫌を上昇させたのは間違いなく醜態をさらした伏見なのに、こちらを見ていない。
なにもかもを見透かすような視線が、外されている。
 その態度に、胸というよりは腹の奥が焦げつくような不快感を覚えた。いつもであればその視線をまっすぐ向けられることに、どちらかといえば苦手意識すらあったはずなのに。
「…………」
 理由は、わからない。原因もわからない。
 ただ、突然生じたその衝動を抑えつける気には、どうしてもなれなかった。
 だから、心のままに行動へと移す。
「おや」
 伏見の顔のすぐ上で、ぱちりと紫紺の瞳が瞬いた。
 後頭部には、固いのか柔らかいのかよくわからない感触。セプター4の隊服は丈夫な生地で作られているせいで、肌触りはさほどいいわけではない。少なくとも、寮の枕のほうがマシだろう。
 それでも、どういうわけか満足感が胸に広がる。
 ──視線を、独り占めできているからなのかもしれない。
「室長のせいで足の痺れがひどくなったんで、責任取ってクダサーイ」
「それは構わないのですが、これで責任を取ることになるんでしょうか?」
 もちろん、そんなわけはない。これは、ただの嫌がらせだ。
 こうやって伏見の頭が膝の上に乗っていれば、少なくとも宗像はすぐには動けない。しばらくは伏見に膝枕をしたまま、正座の状態を保つことになるだろう。情け容赦なく振り落とされれば話は別だが、そうはしないという確証があった。
 どうしてかは、わからない。ただ、宗像がこの状況を嫌がっているようには見えなかった。
 日頃は仕事こそきちんとするものの反抗的で人嫌いで、肩に触れられることすら嫌がるような伏見が自分から接触してきたのだ。意味不明の展開に、驚いている可能性はありそうだった。
 ……そのわりには、すぐ真上から伏見を見下ろしている顔は、楽しそうに見えたが。
「室長の足が痺れたら、今度は俺がつつくんで」
「そうなんですか? 勤務時間内に伏見くんの目的が達成できればいいのですが」
 宗像がさらりと笑う。特になんの問題もない、そう言いたげだ。
 今はまだ間違いなく勤務時間内で、定時まではまだ一時間以上あって、伏見が今日やるべき仕事はすべて終わっているとはいえ、宗像のデスクにはまだ処理すべき書類が残っているかもしれないのに、その場を動く素振りはない。
 もしかしたら、体よく書類仕事をサボる理由に使われているのかもしれない。否、きっとそうだろう。だとすれば明日、副長である淡島世理に怒られるのは伏見だろう。
(ま、いいけど)
 そんなの、今さらだ。服務違反で説教されるのは慣れている。
 最大の問題は、この行為が宗像に対してまったく嫌がらせとしての効果がなさそうなことなのだが、面倒になった伏見は深く考えることを放棄してさっさと目を閉じる。
 少しだけ体温の低い指がさらりと伏見の前髪を掻き分け、額を柔らかく撫でていった。

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